映画やマンガを中心に、好きなものだけチョイス。下手甘イラスト付きレビューです。『笑いと元気』が合い言葉。
スポンサーサイト
--年--月--日 (--) | 編集 |
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

愛を読むひと/The Reader
2009年06月23日 (火) | 編集 |
若くはない...少し垂れていてお風呂に入るとまぁるく浮かぶ乳房...この映画のケイトは美しい、と私は思いました。
愛を読む人946.jpg
ネタバレしてますので、これから映画を観る方は読まないでください。

まぁ~、ケイト・ウィンスレットという人は!普通の主婦のような雰囲気を持ちながら、感情の振れ幅の激しさを表現し、ややくたびれた存在感のある裸でリアリティのあるセックスを演じさせたら、右に出る者がいません。

1958年、大戦後のドイツ。15歳の少年マイケル(デビッド・クロス)は具合の悪いところを年上の女性ハンナ(ケイト・ウィンスレット)に助けられ、知り合う。
誘惑されたマイケルは、毎日のように彼女の部屋に通いベッドを共にする。ハンナはマイケルに本の朗読を頼み、いつしかそれが2人の愛の儀式となる。しかし突然、ハンナは姿を消してしまう。
8年後、法学生のマイケルが傍聴した裁判で見たのは、ナチス時代の罪に問われるハンナの姿だった...。(映画のチラシより)


15歳の少年と36歳の女性。21歳差の関係。
しかも年上の女性のほうから難なく少年をオトしている...この背徳感あるシチュエーションに抵抗を感じる人は、この映画を受け入れがたいかも知れません。
私?......う~ん、抵抗無いです。うっ、青くなくてすみません。
むしろ "15歳の時の初めての女をずっと愛し続けることができるのか?" のほうが、私にとって疑問です。いや~、青くないどころかピュアでもなくて、汚れちまったオトナの自分が悲しい...(苦笑)

実際のケイト・ウィンスレット(36歳のハンナ役)は、33歳(1975、10/5生まれ)
15歳のマイケル役は、18歳のデビッド・クロス(1990、7/4生まれ)
どこぞの役場のナントカ課の主任に見える落ち着きを持った男の子なので、字面ほどには年齢差を感じさせません。
デビッド・クロス...繊細な表情もなかなか良いと思いますが、少しばかりおっさん臭いので、私的には顔も体も萌えなかったあぁぁ...いや、これは文芸作品、文芸作品。

ですから、私はデビッドよりケイトに目を奪われてしまい。
教会の合唱団の歌声を聴いて、ふいに感情を露にして泣いた顔、おばさんっぽいベージュのブラが透けるのもかまわずに泳いでる無心なケイト、『僕のことを愛してる?』と聞かれて、もの憂げな自分しか見えてない瞳、ケイトの色々な表情に感心してしまいました。


監督は、私が好きな『リトルダンサー』のスティーヴン・ダルドリー。
原作は、ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』

ハンナの裁判を傍聴した学生たちのディベートは、激しく糾弾している者や耐えられず席を立つ者、マイケルのようにひたすら沈黙する者...と色々で。マイケルは、ハンナの "秘密"が彼女の罪を重くしてしまうのを助けてあげるのでは!と私は思っていたけど、何もしないで苦悩しているだけ。イラっとするくらい受け身。

ハンナのような収容所で働いていた末端の看守達まで、ドイツの国自身で厳しく裁いていく...自浄努力の証を、世間にも世界にも示さなければならないから。その時代の風を一番象徴しているのが、激しく糾弾している学生だろう。
しかし、担当教授(ブルーノ・ガンツ)は『人道的(←感情的、という意味だと思う)に罪を裁くのではない。法によって裁かれるべきだ。それも、当時の法で』というニュートラルな立場で、ハンナをジャッジしてない。職務を忠実に愚直に果たしたハンナは『あなたなら、どうしましたか?』と逆に問う。これは法科の大学教授でもある原作者の気持ちを、代弁しているのだろうか。マイケルや担当教授の姿に、今なおナチス時代の過去に揺れる知識階級の弱さや苦悩が読み取れる......。

愛を読む人947.jp
強制収容所の生き残りの女性作家イラナ・メイザー(レナ・オリン)は「彼女の秘密を打ち明けられても赦すつもりもない。受け取ることは赦す事になるから」と、シビアで厳しい。

また皮肉にも、ハンナが貯めたなけなしの贖罪のお金が塵芥に感じるほど、この成功した女性作家の部屋はゴージャスでスノビィな雰囲気さえ漂う。

それでも、彼の話に耳を傾け、紅茶の缶だけ受け取った女性作家に、少しでも心に思う事があっただろうか?何らかの区切りがついただろうか?と祈らずにはいられません...。


もう一つシビアな事を書くと......

あの頃、ハンナはマイケルを愛してはいなかった、と私は考える...。
もちろん、ひと時の "情"や "好き"っていう気持ちはあった、と思うが...。

本を朗読してもらうのと同じくらいの慰みだったかも...心はいらない、体を重ねている刹那が、ハンナの生きてる実感だった...と思えてくる。
あのマイケルを誘惑する急展開のアプローチは、どう考えても自分を大切にしてないように見えるもの。もはや現(うつつ)に生きてない。
自分の秘密と過去を引きずって、愛を拒絶してるような頑なさが見え隠れする...。
最後の......は、ハンナの贖罪の気持ちだという気がします。
そんな風にしか生きられないハンナもまた時代に翻弄された可哀想な女だった、と思います。

マイケルがせっせと送ったカセットテープは、獄中のハンナの支えになったことでしょう。"文盲"がそれほど恥ずかしい事だったのか?大きい罪をかぶってまで隠したい事だったのか?この辺は、私にはいまいち分かりません。ハンナのプライドが許さなかったのでしょうか。
文字(劇中ではドイツ語でなく英語だ)を覚えていく事は、ハンナの人生の中でも大きな悦びだった!と思います。


レイフ・ファインズ!こういう切なさを表現するのが上手い俳優さんですね。
『ある公爵夫人の生涯』は役が役だけにいいトコ無しで(苦笑)ヴォルデモート卿は顔だけ貸して論外(笑)最近はさすがに色恋物で主役をはるには容色が衰え、寂しく思っておりました。今回は『イングリッシュ・ペイシェント』を彷彿とさせるようなぴーんと張りつめた切ない恋情を見せてくれました。


15歳の時出会った恋が、彼にとって永遠の愛になってしまった。

男の純粋な愛ですね。

考えると、ハンナも哀しい人生だった。

切なくて悲しくて......泣けました。



↓「More Romance」と管理人も呟いてみた...愛のクリック、よろしく!
banner_03.gif


原作は3つの章から出来ています。

第1章は、それほど官能部分が強いとは思いませんでした。これは、私が腐ってるせいですが(笑)
かって『ナインハーフ』の小説を読んだ時、最後にヒロインは「あまりに激しい性愛が過ぎ去った後、私のサーモスタットは壊れ、もう元に戻ることはないだろう」と語ってました。危険な香りの男と性愛オンリーで付き合った恋愛経験値が高い女性でさえそう感じたなら、15歳でハンナに会ったマイケルは心も体も麻痺状態だったのでしょう。
私が思ったよりマイケルはハンナに恋焦がれていて、第2章の始めで、失踪したハンナを捜すマイケルの姿はキュンと切ないです。
その後、彼の人生はコンフリクトして恋愛も結婚も機能しなくなったような気がします。
映画の中で女性作家が言ったように、彼の運命を変えた、と言えるでしょう。

第2章は、意外と、裁判部分が長いですね。
ナチの犯罪をどのように裁き、どのように受け入れるか?映画を観る限りでは...ナチス関係者だけ、と私は受け止めていましたが、この辺は理解不足でした。
ナチの幹部から末端のハンナたちばかりでなく、ナチズムを許容し傍観した親の世代にも向けられていて。マイケルの世代も親の世代を糾弾し、そのほうが苦痛から解放される。しかし、親を責めたくなく責めることができない子どもたちもいる...マイケル自身も、誰も指すことができない。世代間の葛藤やハンナにたいする色んな気持ちが混ざり合い、も~マイケルは悩みに悩んでいます。

ドイツ文学といえば、中学生の頃に読んだ『車輪の下』や『若きウェルテルの悩み』とかありましたが、悩みの種に "ナチズムの過去"という要素も加わり、苦悩の度合いが色濃いです。まさに "ドイツ青春苦悩文学"の系譜である、といえるでしょう。

第3章...何故、マイケルが返事を書かなかったか?ハンナの最後の理由も、わかりませんでした。私も悩みながら読みました......。

スポンサーサイト

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。