映画やマンガを中心に、好きなものだけチョイス。下手甘イラスト付きレビューです。『笑いと元気』が合い言葉。
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グラン・トリノ /Gran Torino
2009年06月06日 (土) | 編集 |
クリント・イーストウッド!今でもカッコよくて、いつまでも男の色気がある人だと思います。
グラントリノ933.jpg

朝鮮戦争の退役軍人、フォードの組み立て工だったポーランド系アメリカ人のウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)
世間と繋がっていた(世界で1番の女だった)愛妻を亡くし、息子夫婦とも牧師とも近隣住民とも疎遠で、孤高のおひとり様生活の日々。頑固で偏屈なウォルト爺さんは、孫娘のヘソピーから日本車トヨタの会社に勤務する息子のランクルまで、何でもかんでも気に入らない。ある日、親戚のギャングどもにそそのかされた隣の少年タオ(ビー・ヴァン)が、彼の愛車グラン トリノを盗もうとする...。
そこから、彼と隣のアジア系移民一家との交流が始まる...。

彼の住む移民ばかり(医者までも!)で、ギャングが横行する町の荒廃した様子、私には驚きでした。日本でも ちょっと地方に行けば "シャッター通り"と言われている町は沢山ありますが、こんなに治安は悪くない...。今のアメリカが?いや~、アメリカも変動しているんですね。

このウォルト爺さんが吐く差別用語のオンパレードが、こりゃまたスゴい。ちょっと、ハラハラするくらい。彼が嘆く「引っ越して来るのは、中国人ばかり」(もっとも、タオ達はモン族。ベトナム戦争に絡むよんどころない事情で移民)という町の描き方も差別用語連発も......実際、アメリカ人の心の奥底の人種差別はどうであれ、マイルドに濾過されているハリウッド映画では、そうそう見当たらない。


タオを "Toad"と呼び「トロ助、トロ」と訳しているのは可愛いほうでしょうね。
辞書を引くと「ヒキガエル、ガマ」で「ノロマ、間抜け」という意味もある。

"gook"も「米喰い虫」と訳されて、英語の分からない私にはイマイチ「ふ~ん、そうなんだ。米、好きだもん...」ぐらいで終わりますが、結構なアジア人に対する蔑称みたいで。


タオのお姉さんのスー(アーニー・ハー)のヘタレ彼氏は、イーストウッドの息子さんだったそうで、もうここぞとばかりイーストウッド爺さん(いやパパかw)に罵倒されてましたね(笑)

あと『酔っぱらいアイリッシュ』とか「いかれイタ公」とか。自分は「ポーランド爺ぃ」と言われていたしね。まぁ、この辺は顔見知りとの荒っぽいコミニケーションの取り方と言おうか、ウォルトなりの親愛の形と言おうか。タオにも、男の流儀や付き合い方ってのを伝授してましたね。

隣のおばあちゃんとのやりとりは、なかなかいい勝負で、コミカルでした。


ウォルトは朝鮮戦争で十数人殺してしまった事が、心の底に澱のように沈んでいて、今でも自分を赦せない。妻が死んでからは、誰にも打ち解けず心を閉ざしている...。そんな時、隣の住民とのかかわり。タオは、ウォルトのガレージの工具類に眼を輝かせる。長い間かけて集めた工具類と美しい車グラントリノは、フォードの組み立て工だったウォルトの矜持そのもの。興味を持たれて嬉しくないはずはない。姉のスーは弾力のある生き生きとした魅力の娘で、ウォルトを何かと気にかけてくれ、食事に誘ってくれる。だんだん、彼も隣の姉弟に心を動かし始める...。

重厚で地味、ゆったりとじっくりと見せてくれた映画でした。

グラントリノ934.jpgう~ん、正直、映画の観客としては...ちょっと前に観た『チェンジリング』のほうが、いい意味でも悪い意味でも面白かったかな。怒涛のごとく衝撃的なストーリーが襲い来るし、サプライズの連続で、私は恐怖で観客席に張り付いたまま。アンジーだけでなく脇役も子役も脚本も、総てが揃って「凄い!」としか言いようがない。しかし、同じバッドエンドでも、あまりに立ち直れないので、何度も観たくないのが『チェンジリング』...多分、もう観ない...。

『グラントリノ』はストーリはシンプルで、息子夫婦の描き方も類型的、私も想像出来るラストなのだが......まぁ、なんというか、イーストウッド監督で主演の場合は、主人公のキャラや背景、ストーリーは大体似通っている。
何度も何度も描きたいテーマなのだ、と思う。

これは、今まで自分が主演の映画を推敲に推敲を重ね、まとめあげた集大成なのだ。

贖罪を抱えた男が、非情な現実でも逃げずに受けとめて、前に進む。
それが、クリント・イーストウッド流、男のケリのつけ方なのでしょう。


私がたまたま見たTV番組で「グラントリノを最後に、俳優としてもう出演しないのか?」というインタビューに、イーストウッドは「I don't know maybe」と答えていましたが、この映画のエンディングの...最初はイーストウッドの声で、後はジェイミー・カラムの歌を聴いていたら(涙がじわ~~)......あぁぁ...こう言ってはなんですが、この映画はクリント・イーストウッドの遺言のような作品に思えました。

どのように生き、死ぬまでに何を残すか?

創作者(クリエイター)としては、どきっとする命題であります。

クリント・イーストウッドは確実に "死"を意識してこの映画を作っているな...と感じました。


今もなお、走り(歩く...ではない)続けるクリント・イーストウッド監督に、驚きと愛情を込めて敬礼!!!


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